岡山県の旧・備中松山藩の財務大臣であった
陽明学者「山田方谷(ほうこく)」。
十万両(現在の約300億円)の財政赤字を、わずか7年で600億円稼いで黒字にしてしまった辣腕の藩政改革者です。
今月、7代目の子孫である先生に引率していただき、足跡を訪ねる勉強をして参りました。

方谷の第一のポリシーは
「至誠惻怛(しせいそくだつ)」
…真心と、いたみかなしむ心を備えて生きること。
そして、備中高梁市内に12カ所ある3つ目の碑には
「義を明らかにして利を図らず」とあります。
 …目先の問題にとらわれず、大局的な見地から物事の全般を見通すことが大切である。
政治に携わる者は、金銭の増減のみを追求するのではなく、善政(綱紀粛正や教育)に努めよ。その結果として財政は豊かになる。と説きました。
赤字克服のためにこの、優しい正義の思想を第一に掲げ、一見遠回りな政治を行いました。
領民を愛し農民や女性に教育を施し、
地域の産物を積極的に販売し、
当時の藩札(お金)を基軸通貨にすえ価値を出す金融政策を行い、
凶作のための備蓄も十分に行って、
理想通り、国民と一丸となって藩を豊かにしました。
方谷先生は、岡山の聖人と呼ばれているそうです。
一族のお墓は、今も地域の方に大切にされ、
「方谷園」という美しい霊園となっています。
このあずまやは明治40年頃ものです。
築100年ですね。
雨ざらしの柱はカサカサに乾いて、触れなばおちん、という風情でした。
私もお参りをしてきました。
その後、市内の大名屋敷で、小堀遠州の自邸の庭を拝見しました。御武家様のお屋敷なので、京都や京風の数寄屋造りとは随分違いました。
千利休の分派であるお茶の大家・小堀遠州ですが、方谷先生の政治の影響なのか、ずいぶん建物は質素に作ってある気がしました。
釘隠や襖の取っ手も、簡素で荒削りなものが使ってあり、倹約の精神が伝わってきました。
(ひょっとしたら、オープンな展示状態すぎて、泥棒にとられてしまい、適当にあつらえてあるのかも知れませんけれども。)
かといって、写真の植栽を御覧になってわかるように、西欧の「トピアリー」的な、幾何学的に刈り込んだ生け垣が、小堀遠州の隠れた素養、あるいは当時の西洋への憧れを表現していると感じました。
こうして庭を1つとってみても、当時の歴史的な背景、つまり、思想や世相で表現される部分が多く、古民家は知れば知るほど奥が深いですね。