「明治2年に建った」と言われる、昔の庄屋さんのおうちにお邪魔してきました。庄屋さんとは、村の村長さんのような役割で、お上の意思を村民に伝達するためにある機能です。

 つい前回のコラムで、「岐阜には130年を超える家が少ない」と書いたばかりですが、このお屋敷は明治2年建造の築150余年だそうです。
 家の地盤面は、道から1m以上上がっています。近くには長良川が流れており、地下が砂地で硬いので、濃尾震災の倒壊を免れたようのにお見受けします。

 ここでは、施主さんがなにげに開いたお仏壇の中から「慶応2年」の香典帖が見つかりました。1866年、徳川慶喜が第15代将軍に就任した年です。

 「この家は、まだ使えますか。直して住むに値しますか?」とお尋ねになられるので、些細な点ですが傾いた柱について説明しているところ。

 積んである石垣に使われている石が丸いので、北と南に地盤が流されて、それに引っ張られて建物の基礎部が外側に開いています。
 前回の瓦修理では柱の傾斜を直さず、屋根だけを直してしまったので、斜めに傾いたまま固まってしまっています。


さらにじゃりじゃりと2階の屋根裏に上がり、
東に折れるように沈んでいる瓦の理由を探ってきました。

 屋根のてっぺんを支える棟木、その下の大黒柱が、屋根の東から2m内側にあり途切れているため、棟木が下がっていることがわかりました。しかも、大黒柱から外れたところで横木を継いであるので、仕方がないことなのでした。

 でも、それ以外には、後戻りできないほどの大した腐朽はなく、150年の割には非常に状態の良いお宅でした。
 こんなに柱が少ないのに…木と土壁と瓦の総合力には毎回驚かされます。

 施主様はとても心の温かい優しい方でした。リノベーションしたい場所や、補修したい場所を伺って帰って参りました。良いご提案ができるように尽力いたします。