関ヶ原市長を、全国古民家再生協会の顧問である井上幸一氏(現職は内閣官房)と表敬訪問してきました。滋賀支部長の大森氏も揃い、県をまたいでの訪問です。

「古民家は解体するばかりが道ではない。良い建物なら遺せるので、持ち主さんがご存命で、空き家になる前にお声掛け下さい」とお話ししました。

すると市長が「でも…この辺では、「土地を売ろうと思う」 なんて言おうものなら、近所の人から、あの家はもうおしまいだなどと言われてしまう。」と危惧されていました。

これは関ケ原町に限ったことではなく、まだまだ田舎の、質素に暮らしておられる地域はみんなそうではないかと思います。

ただ、自分の子孫が使わない限り、ありあまる土地は税金がかかるため間違いなく負の遺産となっていきます。

そしてこの「子孫が使わない」は大きなプライド問題をはらんでおり、「子供が戻ってこないなんて見捨てられたようで言えない。だから本当は戻ってこない息子のことを期待して待ち続ける」方も多くおられます。

お子さんと住んでいらっしゃる人たちに比べて、子供に見捨てられたようで、絶対に認めたくないのです。

しかし本当にそうなのでしょうか。

「家や土地を現金に変え、手放す」事は恥ずかしいことでしょうか。また、都心で活躍しておられるご子息やご子女が自分の思う通りに横にいないことがそんなに惨めなことでしょうか。

私はそうではないと思います。

なぜならそれはあくまで「子供を大事にする」結果起こることだからです。

土地を売って現金に変えたら、自分はもっと便利な場所に住めるかもわからないし、それによっていつまでも外を長く車にも乗らずに活動出来るかもわかりません。お嫁さんに頼らず病院も近いかもしれません。もしくは子孫にたくさんのお金が残せるかもしれません。

つまり、ご両親は立派に子供世代から自立しているのです。

また、ご子息ご息女が帰ってこないのは、都会の荒波にあってなお求められているからであり、それは誇らしいことで情けないことではありません。ご子息の人生を田舎の自分と一緒にしない立派なご両親であると私は思います。

古民家再生協会で空き家対策勉強会をするとしたら、まずその認識から変えていきたいと思っています。

土地を手放すのは一族の身を滅ぼすことだ、などと言う土地神話はもう終りました。今は、土地を手放すことで1族に多大なる恩恵を与えられる立派な行為であると言うことを伝えていきたいと思います。

お話の中で市長が「つまり、空き家問題と言うのは、市民の意識を変えていくことからなんだね」とおっしゃいました。その通りだと思います。

増え続ける空き家の問題は、物の問題である以上に、心の問題だと思っています。