大阪地震のブロック塀倒壊は、すべての人にショックな事件でした。あの日以来、人々がブロック塀を目の敵にしている気がします。
「PTAで地域のブロック塀の点検に回りましょう」
「我が家のブロック塀も登校中の小学生を襲わないだろうか?」
「この石積みを取るとブロック塀が倒れてしまうから計画そのものを変えて石積みを残そう」
などなど。
テレビで非常にわかりやすい説明をしていましたが、
①ブロック中の鉄筋は、ベースコンクリートが生のうちにニョキっと出すものです。
②鉄筋には重ねしろと言うお互いが重なり合って引っかかり合う仕上がりにしないといけません。タテ筋もヨコ筋も入れなければいけません。
③控え壁という倒壊防止のそで袖壁が80センチおきに必要です。
④コンクリートブロックは高さが2,200ミリを超えてはいけません。その上は鉄筋コンクリートの梁を設ける必要があります。
これ、新しく施工するときは当然のように行うのですが、いざやっていないブロック塀を何とかしてくれと言われると非常に困った話になります。
大谷石などで積んである場合は、間違いなく鉄筋が入っていないので、壊すしかありません。
しかし一口に壊すといっても大変ですよ?ゴミが…。予算が…。見栄えが…。
普段私たちは、誠実な成功を心がけておりますが、予算や手抜きのため不誠実な施工が多いのが現実。それに昔は規制がなかったので、悪意もなくだめなブロック塀などたくさんあります。
事故はどこにでも起こりえます。
こういう時、危険なものを一つ一つ完全に潰そうと言う完璧主義のような思想はある意味夢みがちで、非現実的だと私は思います。
というのも、不良があっても、それを完全に排除できるわけはないです。下手な工事も、だめな工事も、良識ある人たちの手の届かないところでいつでも生み出され続けています。それはある意味自然の摂理と言うものだと思います。
私がまず知っていただきたいのは、1つのブロックの施工不良ではなく、世の中にそういったものがなくならないと言う認識からです。命を守る事は本当に絶妙で難しいものです。
たくさんのルールや法律を作り、人間は命を守り合ってきたわけですが、「そんなつもりじゃなかった」のに人の命が奪われる事はやはりあるんだろうと思います。
例えば私はゲームが嫌いですが、そのうちゲームで人がたくさん死ぬんだろうなと言う気がしております。(間接的に。)人間が人を生かしもし、しかし別のところでは殺しもする。
ブロック塀は、私たちのステータスやプライバシーのために存在しておりますが、それがこんなことになるなんて、本当に皮肉で、哀しいと感じております。