昨日、花器が捨てられない話を書きましたところ、折良く今日はTVで「家を片付けてみよう」というバラエティーをやっています。

「片付け」と言うのは、今、日本に大学ができているほどで、例えば100円収納小物の大家・近藤のりこさんの本は家庭科の授業で教わるほどのエデュケーショナルな(教育的な)内容だという認知になってきています。

「断捨離」という言葉を発明した山下ひでこさんも、もう雑誌の取材だけでも忙しいとご本人がおっしゃるほどニーズがあるそうです。(6年前。)

古民家には荷物やガラクタがつきもの。私たちは、もったいない根性だけを教わって、「吟味して買う」教育を受けてはいません。

私はいらないものを捨てることには大賛成ですが(離婚含め)、「あとで捨てたくなるものは買わない」と言う決意を持ってると昨日書きました。

そしてそこには、ありとあらゆるものに対する「審美眼」、つまりセンスが必要なのではないかと思っています。何をとって何を捨てるか?は美しさで決めています。

(そこに絶対的な審美眼がなければ、変な商法に引っかかったり、変な人に騙されたり、変な宗教にハマったりするのではないかと思います。)

古民家を愛するのもそのうちの1つ。木々の持つ圧倒的な力強さと、真摯に仕事に向き合う職人の眼差しが、古民家にはあります。ホコリをかぶった畳とか、割れた壁面などほとんど気になりません。(そんなものは手をかければいくらでも治りますので。)

あくまで表面ではなく、その「真」見ています。